小樽市全域

No.1

小樽市街遠望−1
 
1903(明治36)年6月〜1904(明治37)年5月

住吉神社裏手の丘と富岡町の丘からの4枚組の市街遠望写真。撮影時期は3・4枚目に1903(明治36)年6月28日開業の小樽中央駅、3枚目に翌年5月8日焼失する小樽米穀取引所があることから、この間と判断できる。
左下に住吉神社社殿の屋根が少し見え、参道には石鳥居が建っている。港方向へ行くと右側に量徳小学校がある。左右に走る今の国道5号もかなりの急勾配になっている。右側の寺は本願寺小樽別院。
小樽市街遠望−1
No.2

小樽市街遠望−2
 
1903(明治36)年6月〜1904(明治37)年5月

住吉神社裏手の丘と富岡町の丘からの4枚組の市街遠望写真。撮影時期は3・4枚目に1903(明治36)年6月28日開業の小樽中央駅、3枚目に翌年5月8日焼失する小樽米穀取引所があることから、この間と判断できる。
右下の寺は浄暁寺。その上の丘上に建つのは魁陽亭(現・海陽亭)。その下には北海道炭礦鉄道小樽駅(現・南小樽駅)が見える。その左方には入船陸橋が見え、入船通り沿いの入船陸橋手前にある大きな建物は末広座。その左にそびえるのは火の見櫓。中央左には水天宮山、その中腹左手には堺小学校がある。水天宮山の下方に見える寺は量徳寺。堺小学校左下の大きな屋根は住吉座、その左は迎陽亭。
小樽市街遠望−2
No.3

小樽市街遠望−3
 
1903(明治36)年6月〜1904(明治37)年5月

住吉神社裏手の丘と富岡町の丘からの4枚組の市街遠望写真。撮影時期は3・4枚目に1903(明治36)年6月28日開業の小樽中央駅、3枚目に翌年5月8日焼失する小樽米穀取引所があることから、この間と判断できる。
北海道鉄道小樽中央駅(現・小樽駅)は構内のようすや車輌から建設工事中ではなく開業直後だが、まだ北海道炭礦鉄道小樽駅(現・南小樽駅)との連絡線は開通していないため、浅草橋(現・富岡跨線橋)はない。駅構内はずれの海側にある長屋に囲まれた建物は1903(明治36)年10月小樽米穀株式外五品取引所から改称した小樽米穀取引所。中央右には水天宮山があり、その中腹左には堺小学校がある。中央やや左、海をバックにした大屋根は星川座。右端下は浅草寺。
小樽市街遠望−3
No.4

小樽市街遠望−4
 
1903(明治36)年6月〜1904(明治37)年5月

住吉神社裏手の丘と富岡町の丘からの4枚組の市街遠望写真。撮影時期は3・4枚目に1903(明治36)年6月28日開業の小樽中央駅、3枚目に翌年5月8日焼失する小樽米穀取引所があることから、この間と判断できる。
北海道鉄道はまだ函館まで全通していないため、小樽中央駅に停車している列車も小型の車輌を使われている。駅と小樽港桟橋を結ぶ中央通りにも大きな建物は少なく、港へ突き当たる手前には並木がある。その左の左右に長い屋根は小樽倉庫。その下方には造成中の丘がまだ残り、その端にある煙突は小樽電燈舎の火力発電所。その右は大黒座。下端には船見橋が見える。第一防波堤もずいぶん延びている。
小樽市街遠望−4
No.5

雪の日の水くみ
 
 

小樽の公共水道は1906(明治39)年1月給水開始した船舶向けの仮設水道から始まる。本格的な水道は1908(明治41)年3月着工、1911(明治44)年8月には仮設備での給水が開始され,、1914(大正3)年に完成した。当時は家庭内に水道栓はなく、水道共用栓が街角に設置されていた。
雪の日の水くみ
No.6

無料風呂
 
1914(大正3)年6・7月

伝染病対策としては、清潔法(大掃除)の実施をはじめ、衛生状態の改善が大切であった。1914(大正3)年には銭湯に行けない人たちのため、衛生組合が移動風呂を設け、無料で入浴させた。まず6月末に奥沢村からはじまり、区内各所で実施されている。
無料風呂

小樽市全域-古地図

No.1

小樽地図(模写)
 
1872(明治5)年8月2日(原資料)

「明治五年八月二日函館建築掛ヨリ東京往復書中ニアルモノ(開拓使公文録原本雑ノ部)」の記入あり。
小樽地図(模写)
No.2

小樽地図(模写)
 
1873(明治6)年11月原資料調製

「七年海軍省往復 明治七年九月海軍省石炭置場トシテ譲渡往復文書ニ添付セル地図 但六年十一月ノ調製ナリ」の記入あり。
小樽地図(模写)
No.3

小樽湊内見取図

「テミヤ丁」「色内町」「テミヤウラ丁」などの町名は1881(明治14)年設置。一方、1884(明治17)年設置の花園町はない。右下の「テミヤ学校」は1881(明治14)年量徳学校の分校が独立した手宮学校。勝納川の左の「病院」は、1883(明治16)年量徳学校潮見台分校となる小樽公設病院分院、入船町の「ヒヤウイン」は1886(明治19)年5月焼失した小樽公設病院本院か。「貸座敷郭内」は遊廓移転地(住ノ江町設置は1883=明治16年)。幌内鉄道(赤線)には、水天宮山と量徳学校の下部に「トンネル」があるが、水天宮山トンネルは1889(明治22)年切り通しに改築されている。作成時期は1881年〜1883年か。海岸線の形状を直線的に描いている。一連の模写か。
小樽湊内見取図
No.4

北海道後志国小樽港湾図
渡辺覚平
1891(明治24)年6月24日

旧小樽方面(現・南小樽駅附近)には建物の名称が入っており、住ノ江遊廓には「南楼」の記入もある。官公庁や神社仏閣のほかにはほとんど名称の記入がないのが惜しまれる。
北海道後志国小樽港湾図
No.5

小樽港実地明細図
川瀬善一
1893(明治26)年6月2日

主な商店・会社が外観とともに載っており、小樽では写真が普及していないころの資料として貴重な存在。今でも小樽で盛業中なのは越中屋旅館と職種は違うが岩永時計店くらいだろうか。花園や稲穂のあたりに山(丘)の表現があるのも現在の地形と比べると興味深く、市街地として描かれていないのは、当時は記入すべきものがなかったからであろう。
小樽港実地明細図
No.6

小樽高島両郡実業家明細図
小川正春?
 

青焼き複写と思われる。手宮から色内通り・堺町通りを経て入船町までの市街の商店などは印で表記されている。作成時期は明治20〜30年代か。
小樽高島両郡実業家明細図
No.7

実測小樽明細図
白鳥敬作・川南重祐
1902(明治35)年8月

「函樽鉄道停車場予定地」とあるのは、1903(明治36)年6月開業する北海道鉄道小樽中央駅。「電燈会社」は1895(明治28)年1月開業の小樽初の電灯会社小樽電燈舎の火力発電所。稲穂町は駅の設置により急激に発展、丘は切り崩され、湿地帯は埋められ、現在の地形がつくられていく。
実測小樽明細図
No.8

改正小樽区番地明細連絡図
石川藤七
1903(明治36)年9月30日

現・小樽駅が「函樽鉄道予定地 停車場」とあり、少し札幌方になっているのも同じ。ただしこの地図の発行時には駅は開業している。海岸方面や旧小樽方面(現・南小樽駅附近)は細かく番地が分かれている反面、鉄道線路(のちの手宮線)以西は大ざっぱで、特に稲穂町14番地や花園町14番地が広大なことがよくわかる。これが1915(大正4)年10月実施の町名地番改正の大きな動機のひとつとなった。
改正小樽区番地明細連絡図
No.9

小樽港明細地図
 
 

市街に会社・商店の記入があるが、これは現在の住宅地図とは異なり、発行者に協賛金を払ったところだけ載せられるのが一般だった。つまり空白の部分には建物がないということではない。これは当時のほかの商業出版の明細図も同じ。右下に北海道と樺太の図が付されている。
小樽港明細地図
No.10

小樽港平面図
小樽区役所
1909(明治42)年

小樽港の区営埋立(運河造成)と北海道炭礦鉄道の計画を継承した鉄道院による埋立の計画図。「明治四十二年 小樽区役所 小樽港湾事務所ノ調査ニ依ル」記入あり。
小樽港平面図
No.11

小樽区全図
 
「四十三年」と墨書あり

「四十三年」と墨書があり、第一防波堤(北防波堤)もできているように見えるので、明治43年と思われるが、点線で示された鉄道路線は現・小樽駅と南小樽駅の間が切れているなど、正確さを欠いている。この区間は1905(明治38)年8月開業している。勝納川上流、松倉岩付近の区村境界まで描いている。
小樽区全図
No.12

小樽区全図
 
1910(明治43)年7月

中央上端の「第五高等商業学校」は1911(明治44)年5月開校の小樽高等商業学校。右下端の第一防波堤(北防波堤)は1908(明治41)年6月竣工、左下端の第二防波堤(南防波堤)はほとんどできていない。第一防波堤の上方に描かれる突き出しは、1910(明治43)年3月着工、翌年12月竣工、1912(明治45)年3月開業の手宮高架桟橋。
小樽区全図
No.13

小樽市街之図
北海道庁
1911(明治44)年6月15日

1911(明治44)年8月の東宮(皇太子。のちの大正天皇)行啓の順路を記入した市街図。翌年竣工の日本銀行小樽支店や北海道銀行本店がすでに記入されているが、同じく建設中だった手宮高架桟橋はない。宿泊所も東宮御旅館ではなく、行啓後転用予定の公会堂となっている。
小樽市街之図
No.14

小樽区全図
 
1911(明治44)年7月

前年発行とほぼ同じ地図だが、左下の番号で記入された官公庁・学校・銀行などが変わっている。1番の「御旅館」は8月の東宮(皇太子、のちの大正天皇)行啓に際し、宿泊所として藤山要吉が新築・寄附したもの。東宮行啓後は小樽区公会堂となっている(公会堂への転用は当初から予定)。
小樽区全図
No.15

小樽市街之図
小樽新聞社
1913(大正2)年8月15日

1915(大正4)年10月の町名地番改正前の市街図。商店は○井などの印で記入されているものも多い。
小樽市街之図
No.16

小樽区地図
小樽新聞社

1915(大正4)年10月実施の町名地番改正の原案にある町名が記入されている。赤線は町境と思われる。「玉ノ井」「伊勢」「駿河」など不採用となった町名もある一方、町名の記入のないところもある。
小樽区地図
No.17

小樽区町名区域改正図
 
 

1915(大正4)年10月町名地番改正の市街図。○や◎で囲まれているのは、通りの名称。小樽区ではこれを正式に制定する計画だったが、不評だったため撤回されている。作成時期は改正案づくりが始まった大正4年4月から改正実施の同年10月の間、作成者は小樽区であろう。
小樽区町名区域改正図
No.18

下水道第一期工事
 
 

小樽の下水道は道路側溝としては大正時代すでにあったが、この図面は本格的な地下下水道の計画図のようにみえる。地図上の町名は1915(大正4)年10月の町名地番改正前であり、区営埋立も始まっていない(運河造成前)から、作成時期は大正初期だろうか。
下水道第一期工事
No.19

小樽区之図
 
 

町名は新地町・金曇町・河原町・手宮裡町など、1915(大正4)年10月町名地番改正で消えた町名が記され、赤線で改正後の町割が示されている。作成時期は改正前後と思われる。
小樽区之図
No.20

小樽区之図
小樽新聞社
 

町名は1915(大正4)年10月町名地番改正後。現・小樽駅が1920(大正9)年7月改称前の中央小樽駅であることから、作成時期はこの間と思われる。区営埋立(運河造成)工事も始まっていない。
小樽区之図
No.21

現今小樽市街図
 
 

1911(明治44)年5月開校の小樽高等商業学校があり、駅名は1920(大正9)年7月改称前。手宮高架桟橋はあるが、埋立(運河造成)は始まらず、計画段階にみえる。
現今小樽市街図
No.22

小樽区之図
小樽区役所
 

駅名は1920(大正9)年7月改称前であることから、発行年もそれ以前と判断できる。1915(大正4)年10月の町名地番改正後の町名が黒字で、通りの名が赤字で示されている。結局、通りの名を制定することは見送られ、現・国道5号が「西通」、堺町通りから色内通りが「本通」など、消えてしまった名もあるが、「龍宮通り」「中央通り」「公園通り」などは今でも通称として残る。
小樽区之図
No.23

小樽区土地連絡全図(1.熊碓村及潮見台町奥方面)
丸藤宇三郎
1920(大正9)年8月1日

1915(大正4)年10月実施の町名地番改正による土地区画図。全8枚組
小樽区土地連絡全図(1.熊碓村及潮見台町奥方面)
No.24

小樽区土地連絡全図(2.奥沢及天神町方面)
丸藤宇三郎
1920(大正9)年8月1日

1915(大正4)年10月実施の町名地番改正による土地区画図。全8枚組
小樽区土地連絡全図(2.奥沢及天神町方面)
No.25

小樽区土地連絡全図(3.海岸埋立地方面)
丸藤宇三郎
1920(大正9)年8月1日

1915(大正4)年10月実施の町名地番改正による土地区画図。全8枚組
小樽区土地連絡全図(3.海岸埋立地方面)
No.26

小樽区土地連絡全図(4.中央部)
丸藤宇三郎
1920(大正9)年8月1日

1915(大正4)年10月実施の町名地番改正による土地区画図。全8枚組
小樽区土地連絡全図(4.中央部)
No.27

小樽区土地連絡全図(5.最上町奥及字津軽町方面)
丸藤宇三郎
1920(大正9)年8月1日

1915(大正4)年10月実施の町名地番改正による土地区画図。全8枚組
小樽区土地連絡全図(5.最上町奥及字津軽町方面)
No.28

小樽区土地連絡全図(6.高島村及梅ヶ枝町方面)
丸藤宇三郎
1920(大正9)年8月1日

1915(大正4)年10月実施の町名地番改正による土地区画図。全8枚組
小樽区土地連絡全図(6.高島村及梅ヶ枝町方面)
No.29

小樽区土地連絡全図(7.石山町村及坂本町方面)
丸藤宇三郎
1920(大正9)年8月1日

1915(大正4)年10月実施の町名地番改正による土地区画図。全8枚組
小樽区土地連絡全図(7.石山町村及坂本町方面)
No.30

小樽区土地連絡全図(8.五助沢方面)
丸藤宇三郎
1920(大正9)年8月1日

1915(大正4)年10月実施の町名地番改正による土地区画図。全8枚組
小樽区土地連絡全図(8.五助沢方面)
No.31

小樽市街図
 
1922(大正11)年

1924(大正13)年12月27日手宮で起きた火薬爆発事故の被害区域を記入した市街図。「朱線ハ全被害区域 点線ハ被害ノ甚大ナル区域」とある。この事故の死者・行方不明者は100人近くに達し、爆風による窓ガラスの破損は市街北半分に及び、手宮駅や周辺倉庫の被害も大きかった。出版年は土台となった地図のもの。記録写真は総合博物館が所蔵している。
小樽市街図
No.32

町名番地改正小樽市全図
田尻与吉
1923(大正12)年12月10日

官公庁や銀行は赤文字、商店・病院・邸宅は赤丸・黒文字で記入してある。ところどころ誤記がある(五十三銀行→百十三銀行、富岡小学校→稲穂男子小学校など)が、手宮線は複線にしてある。南廓や北廓にも貸座敷の記入がある。
町名番地改正小樽市全図
No.33

小樽市之図
 
1923(大正12)年1月5日

区営埋立による運河はすでに完成しているが、築港地区の鉄道院埋立はこれから。市街には多くの映画館や銀行が記入されている。
小樽市之図
No.34

小樽港湾市街図
小樽市役所
1924(大正13)年

運河完成後の市街図。手宮線の浅草通りの踏切附近には1920(大正9)年6月営業再開した色内駅が出ている。「木村本邸」「金子本邸」「山本本邸」「犬上本邸」「藤山邸」など、当時の富豪の家も載っている。
小樽港湾市街図
No.35

最新小樽市街図
木村熊雄
1924(大正13)年2月15日

消火栓が青丸で描かれている。赤丸は商店だが、著名商店でも抜けているものが多いのは、協賛金を出さなかったのであろう。
最新小樽市街図
No.36

小樽市附近平面図
都市計画北海道委員会
1924(大正13)年5月調製

小樽市附近平面図
No.37

小樽市街路網案図
都市計画北海道地方委員会
1924(大正13)年5月調製

75・78の地図と同時期のもの。平坦地の札幌などと違い、小樽の道路は狭く、急勾配、かつ直線でないのが特徴であった。このため道路の拡幅・整備は区画整理とともに都市計画の重要な位置を占めていた。この図では公園通りが最も広い街路として計画されている。
小樽市街路網案図
No.38

小樽市都市計画地域図
都市計画北海道委員会
1924(大正13)年5月調製

薄緑色で塗られた住宅地域に赤色で塗られているのは、貸座敷指定地(地図の西方の南廓と手宮地区北方の北廓)。
小樽市都市計画地域図
No.39

小樽港平面図
小樽市役所
1926(大正15)年12月

第二期拓殖計画・鉄道省第二期計画による埋立や埠頭建設計画の図。
小樽港平面図
No.40

最新小樽市街図
木村熊雄
1926(大正15)年5月25日

大正13年発行と同様の地図だが、商店の赤丸がかなり増えている。石山の「曲○(印)キヤンデー サケハキ(印)」は古谷製菓と宅合名会社、日光院裏手の「北の誉」は野口商店、庁立小樽中学校裏手の「キシヤたび クレーム レート」は汽車足袋・レートクレーム(化粧品)の広告大看板。地図上に記されているのは珍しい。水天宮山から小樽公園にかけて、住吉神社附近や入船町など、市街地に等高線が記入されているのも特徴であろう。
最新小樽市街図
No.41

小樽市及郊外土地実測連絡図1(若竹町勝内町)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

勝内町=勝納町
小樽市及郊外土地実測連絡図1(若竹町勝内町)
No.42

小樽市及郊外土地実測連絡図10(潮見台町ノ三若竹町ノ三真栄町ノ一奥沢ノ一)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

奥沢=奥沢町
小樽市及郊外土地実測連絡図10(潮見台町ノ三若竹町ノ三真栄町ノ一奥沢ノ一)
No.43

小樽市及郊外土地実測連絡図11(潮見台町ノ四真栄町ノ二奥沢町ノ二)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図11(潮見台町ノ四真栄町ノ二奥沢町ノ二)
No.44

小樽市及郊外土地実測連絡図12(潮見台町ノ五)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

余白に「簡単ナル土地ノ測量ト面積ノ計算法」あり
小樽市及郊外土地実測連絡図12(潮見台町ノ五)
No.45

小樽市及郊外土地実測連絡図13(源町高島町ノ一祝津町)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図13(源町高島町ノ一祝津町)
No.46

小樽市及郊外土地実測連絡図14(高島町ノ三厩町ノ二手宮町ノ一清水町梅ヶ枝町末広町源町ノ一)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図14(高島町ノ三厩町ノ二手宮町ノ一清水町梅ヶ枝町末広町源町ノ一)
No.47

小樽市及郊外土地実測連絡図15(手宮町ノ二北浜町南浜町色内町末広町ノ一錦町稲穂町清水町ノ一砂留町石山町豊川町梅ヶ枝町ノ一)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図15(手宮町ノ二北浜町南浜町色内町末広町ノ一錦町稲穂町清水町ノ一砂留町石山町豊川町梅ヶ枝町ノ一)
No.48

小樽市及郊外土地実測連絡図16(東雲町ノ二堺町ノ一色内町ノ一南浜町ノ一稲穂町ノ一富岡町山田町砂留町ノ一)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図16(東雲町ノ二堺町ノ一色内町ノ一南浜町ノ一稲穂町ノ一富岡町山田町砂留町ノ一)
No.49

小樽市及郊外土地実測連絡図17(東雲町ノ三花園町入船町冨岡町緑町)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

冨岡町=富岡町
小樽市及郊外土地実測連絡図17(東雲町ノ三花園町入船町冨岡町緑町)
No.50

小樽市及郊外土地実測連絡図18(入船町ノ一住ノ江町ノ二奥沢町ノ三花園町ノ一緑町ノ一最上町柳町京町仲ノ町弁天町羽衣町)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

柳町から羽衣町までは貸座敷指定地(南廓)
小樽市及郊外土地実測連絡図18(入船町ノ一住ノ江町ノ二奥沢町ノ三花園町ノ一緑町ノ一最上町柳町京町仲ノ町弁天町羽衣町)
No.51

小樽市及郊外土地実測連絡図19(奥沢町ノ四入船町ノ二天神町松ヶ枝町ノ一)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図19(奥沢町ノ四入船町ノ二天神町松ヶ枝町ノ一)
No.52

小樽市及郊外土地実測連絡図2(潮見台町若竹町ノ一)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図2(潮見台町若竹町ノ一)
No.53

小樽市及郊外土地実測連絡図20(奥沢町ノ五天神町ノ一)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図20(奥沢町ノ五天神町ノ一)
No.54

小樽市及郊外土地実測連絡図21(奥沢町ノ六天神町ノ二)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図21(奥沢町ノ六天神町ノ二)
No.55

小樽市及郊外土地実測連絡図22(源町ノ二高島町ノ二)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図22(源町ノ二高島町ノ二)
No.56

小樽市及郊外土地実測連絡図23(幸町源町ノ三清水町ノ二)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図23(幸町源町ノ三清水町ノ二)
No.57

小樽市及郊外土地実測連絡図24(幸町ノ一松山町清水町ノ三石山町砂留町ノ一坂本町長橋町)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図24(幸町ノ一松山町清水町ノ三石山町砂留町ノ一坂本町長橋町)
No.58

小樽市及郊外土地実測連絡図25(砂留町ノ二)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図25(砂留町ノ二)
No.59

小樽市及郊外土地実測連絡図26(緑町ノ四)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図26(緑町ノ四)
No.60

小樽市及郊外土地実測連絡図27(最上町ノ一緑町ノ三松ヶ枝町ノ二)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図27(最上町ノ一緑町ノ三松ヶ枝町ノ二)
No.61

小樽市及郊外土地実測連絡図28(奥沢町ノ七松ヶ枝町ノ三天神町ノ三)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図28(奥沢町ノ七松ヶ枝町ノ三天神町ノ三)
No.62

小樽市及郊外土地実測連絡図29(天神町ノ七)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図29(天神町ノ七)
No.63

小樽市及郊外土地実測連絡図3(潮見台町ノ一)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図3(潮見台町ノ一)
No.64

小樽市及郊外土地実測連絡図30(天神町ノ四)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図30(天神町ノ四)
No.65

小樽市及郊外土地実測連絡図31(幸町ノ二塩谷村)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図31(幸町ノ二塩谷村)
No.66

小樽市及郊外土地実測連絡図32(幸町ノ三坂本町ノ一塩谷村ノ一)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図32(幸町ノ三坂本町ノ一塩谷村ノ一)
No.67

小樽市及郊外土地実測連絡図33(松山町ノ一坂本町ノ二幸町ノ四塩谷村ノ二)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図33(松山町ノ一坂本町ノ二幸町ノ四塩谷村ノ二)
No.68

小樽市及郊外土地実測連絡図34(緑町ノ二最上町ノ一)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図34(緑町ノ二最上町ノ一)
No.69

小樽市及郊外土地実測連絡図35(天神町ノ五)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図35(天神町ノ五)
No.70

小樽市及郊外土地実測連絡図36(天神町ノ六)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図36(天神町ノ六)
No.71

小樽市及郊外土地実測連絡図37(熊碓ノ一)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図37(熊碓ノ一)
No.72

小樽市及郊外土地実測連絡図38(熊碓ノ二)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図38(熊碓ノ二)
No.73

小樽市及郊外土地実測連絡図39(熊碓ノ三)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図39(熊碓ノ三)
No.74

小樽市及郊外土地実測連絡図4(高島町)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図4(高島町)
No.75

小樽市及郊外土地実測連絡図40(熊碓ノ四)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図40(熊碓ノ四)
No.76

小樽市及郊外土地実測連絡図41(熊碓ノ五)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図41(熊碓ノ五)
No.77

小樽市及郊外土地実測連絡図5(厩町高島町ノ三)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図5(厩町高島町ノ三)
No.78

小樽市及郊外土地実測連絡図6(手宮町厩町ノ一)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図6(手宮町厩町ノ一)
No.79

小樽市及郊外土地実測連絡図7(堺町東雲町)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

 
小樽市及郊外土地実測連絡図7(堺町東雲町)
No.80

小樽市及郊外土地実測連絡図8(勝内町ノ一永井町山ノ上町開運町信香町有幌町住ノ江町初住町港町相生町量徳町東雲町ノ一)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

初住町=住初町 勝内町=勝納町
小樽市及郊外土地実測連絡図8(勝内町ノ一永井町山ノ上町開運町信香町有幌町住ノ江町初住町港町相生町量徳町東雲町ノ一)
No.81

小樽市及郊外土地実測連絡図9(潮見台町ノ二若竹町ノ二高砂町新地町真栄町若松町勝内町ノ一開運町ノ一奥沢町新富町量徳町ノ一住ノ江町ノ一)
佐藤定
1927(昭和2)年6月15日

勝内町=勝納町
小樽市及郊外土地実測連絡図9(潮見台町ノ二若竹町ノ二高砂町新地町真栄町若松町勝内町ノ一開運町ノ一奥沢町新富町量徳町ノ一住ノ江町ノ一)
No.82

小樽港修築平面図
北海道庁
 

「大正拾五年 港湾委員会ニテ決定 昭和貳年 北海道庁」「小樽港湾事務所ノ調査ニ依ル」のペン書きあり。小樽港の埠頭建設計画を示した図。手宮方面はこの図の計画は実現せず、ほかの埠頭も現在の位置とは異なっている。
小樽港修築平面図
No.83

町名番地改正小樽市全図
田尻与吉
1928(昭和3)年5月10日

大正12年発行から4年半後の地図。誤記も訂正されていおらず、赤文字と黒文字が重複していた第一銀行は消えてしまっている。記入された商店の数は増えているようにみえる。
町名番地改正小樽市全図
No.84

小樽名所図絵
金子常光・中田冨仙
1929(昭和4)年

金子常光は吉田初三郎の弟子だったが、のちに独立、初三郎につぐ鳥瞰図作成者として知られた。この鳥瞰図が描かれた1929(昭和4)年、色内駅海側には銀行本支店が建ち並び、「銀行街」にふさわしい景観が生まれている。
小樽名所図絵
No.85

(記載なし)
都市計画北海道委員会
1930(昭和5)年7月(調製)

図幅名はないが小樽市を中心とした近郊の地図。西は塩谷村桃内、東は朝里村張碓までを含む。
(記載なし)
No.86

小樽港至襟裳岬
水路部
1930(昭和5)年7月10日

(解説省略)
小樽港至襟裳岬
No.87

小樽市砂留町地内色内川筋公有水面埋立工事埋立区域求積図
小樽市土木課第二区土木課出張所
1931(昭和6)年

小樽市砂留町地内色内川筋公有水面埋立工事埋立区域求積図
No.88

小樽市全図
小樽商工会議所
1932(昭和7)年

昭和初期の市街図。小樽港内の赤い部分の拓殖計画による埋立は結局実現していない。画面中央に北海道拓殖銀行小樽支店に勤めた小林多喜二も利用した「色内駅」の表示がある。左下の「市立中学校」は伊藤整が小樽高商卒業後就職した小樽市中学校。
小樽市全図
No.89

小樽市役所庁舎附近平面図
 
1932(昭和7)年

この小樽区役所は1901(明治34)年1月落成移庁式を挙行、1918(大正7)年前面両翼部に増築されている。正面南側には衛生連合組合事務所がある。この庁舎は1933(昭和8)年9月新庁舎(現・市役所本館)となる。
小樽市役所庁舎附近平面図
No.90

小樽市全図
 
1932(昭和7)年2月調査

市街には官公庁や銀行は記入されているが、会社はあまりない。表紙に「昭和七年二月調査」とある。
小樽市全図
No.91

小樽市鳥瞰図
吉田初三郎
 

鳥瞰図の第一人者といわれる吉田初三郎画のもの。1932(昭和7)年7月開業の浜小樽駅があり、1933(昭和8)年4月移転したイギリス領事館がまだ北海道拓殖銀行小樽支店にあるから、鳥瞰図の内容はこのころと判断できる。
初三郎による小樽の鳥瞰図は1931(昭和6)年(総合博物館所蔵)、1937(昭和12)年の北海道大博覧会のとき(発行は前年)、さらに戦後にも発行されている。
小樽市鳥瞰図
No.92

小樽市街地図
手宮西小学校郷土地理研究部
1934(昭和9)年6月

市街地図に手宮西小地理研究部が加筆した地図と思われる。加筆部分は自校や手宮小学校・色内小学校や太線(バス路線か)であろう。
小樽市街地図
No.93

小樽公園実測平面図
小樽市役所
1935(昭和10)年7月

小樽公園とそのまわりの図。建物の平面配置がわかる。「第一高等小学校」の敷地は戦後東山中学校、「庁立高等女学校」の敷地には堺中学校が移転改称、1953(昭和28)年4月1日菁園中学校と改称した。
小樽公園実測平面図
No.94

小樽港全図
小樽港湾事務所
1936(昭和11)年4月

小樽港湾事務所作成にふさわしく、港湾関係の官公署をはじめ倉庫などの施設が詳しく記入されている。
小樽港全図
No.95

小樽市街図
小樽市役所(発行)
1936(昭和11)年6月20日印刷

大型汽船が直接接岸できる堺町岸壁はすでにでき、艀荷役に対応する小樽運河の地位は相対的に低下していく。将来の埠頭建設計画やそれにともなう鉄道臨港線も記入されている。臨港線の浜小樽駅(貨物専用駅)は1932(昭和7)年7月開業している。
小樽市街図
No.96

(今上天皇陛下行幸御道筋救護所及連絡官公衙図)
 
 

昭和天皇は1936(昭和11)年10月行幸、公会堂(創建当時は東宮御旅館)に宿泊、北海製罐倉庫や小樽高等商業学校を巡幸した。地図にはその道筋が記入されている。作成者は小樽市か関係機関と思われる。
(今上天皇陛下行幸御道筋救護所及連絡官公衙図)
No.97

(今上天皇陛下行幸御道筋図)
 
 

昭和天皇は1936(昭和11)年10月行幸、公会堂(創建当時は東宮御旅館)に宿泊、北海製罐倉庫や小樽高等商業学校を巡幸した。当時は明治・大正時代よりはるかに道路はよくなり、天皇自身も自動車で移動したが、それでも道路修繕や撒水が必要だった。地図にはその作業の担当割りが記入されている。作成者は小樽市か関係機関と思われる。
(今上天皇陛下行幸御道筋図)
No.98

第五回全国土地区画整理事業者大会視察図 其ノ二
小樽市
1937(昭和12)年7月11日

表題の視察団の小樽での行程を示した図。この年は小樽公園で開かれている北海道大博覧会を目当てに小樽への視察が相次いでいた。広域図にあるSは出発地点(北海道庁か)、Fは終点(北海道大博覧会場)。オタモイ遊園地で昼食、終点は博覧会場だから、行楽色も強いが、東小樽土地区画整理組合(現・桜一帯)の視察もきちんとこなしている。
第五回全国土地区画整理事業者大会視察図 其ノ二
No.99

小樽市地図
木村文助
1947(昭和22)年4月10日

戦後すぐの市街地図。各小学校が「国民学校」となっており、庁立・市立の学校もそのまま。統合や財閥解体により銀行の名称も変わっている。手宮線は1943(昭和18)年10月旅客営業を休止、貨物専用線となったためか、記入されていない。
小樽市地図
No.100

小樽港修築平面図
北海道庁
 

「大正拾五年 港湾委員会ニテ決定 昭和貳年 北海道庁」「小樽港湾事務所ノ調査ニ依ル」のペン書きあり。小樽港の埠頭建設計画を示した図。手宮方面はこの図の計画は実現せず、ほかの埠頭も現在の位置とは異なっている。
小樽港修築平面図
No.101

小樽港平面図
小樽市役所
1954(昭和29)年5月調製

小樽港や運河沿いの倉庫群の詳細が記入され、市街には主な会社や銀行も掲載されている。
小樽港平面図
No.102

小樽市内図
 
 

1962(昭和37)年廃止の色内駅があり、小樽工業高校が千秋高校、小樽商業高校が緑陵高校となっている。1956(昭和31)年移転の富岡中学校もあることから、作成時期は1950(昭和25)年〜1956(昭和31)年の間。戦時中に使用停止された手宮高架桟橋は、下部の一部が雪を海中に投棄するため残されていた。
小樽市内図
No.103

小樽公園平面図
 
 

小樽公園とその附近の市街図。小樽市都市計画図の一部を使用。1974(昭和49)年8月竣工の総合体育館、翌年10月新築移転の小樽地方貯金局はできている一方、1980(昭和55)年12月現在地へ移転した北照高校がまだあるので、作成時期はこの間となる。
小樽公園平面図

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